Temporada 3 · Espasmos del Fin · JVV-T3-28
反・大地の芸術
I 定義
土へ戻りたがらない芸術。
II 対立の表
| 大地の | 反・大地の | |
|---|---|---|
| 素材 | 泥、石、木 | 重合体、酸化物、鉱滓 |
| 時間 | 季節、収穫 | 耐用の年数、保証 |
| 所作 | 埋める | 吊る |
| 出どころ | その場所 | 目録 |
| 行き先 | 分解する | まずいかたちで残る |
| 尺度 | 身体 | 年に 3.7 ミリの漂い |
| 湿り | 要る | 蝕む |
| 拠りどころ | 祖先のもの | 製造の番号 |
III 箴言
埋められた彫刻はいずれも地質への賭けである。たいてい負ける。
塵は土へ戻る。発泡樹脂は見つめたまま残る。
高貴な素材は老いる。工業の素材は期限が切れる。違いは化学ではない。誰が掃除する番か、である。
祖先のものは、それを正す祖父がもういなくなってから呼び出される。
博物館は時を止めるために 21 °C、湿り 50 % に保つ。反・大地の作は博物館を要さない。すでに止まっていた。
土へ戻ると言う者は、土がいまや最初の二十センチで質量の 0.5 % の微細な樹脂を含むことを忘れている。 土へ戻る ことは、もう戻ることではない。
根は水を探す。線は電流を探す。どちらも同じように枝分かれし、褒められるのは一方だけである。
泥は乾くと罅が入る。かつて液体であったと認める、泥のやり方である。アクリルは何も認めない。
割れた壺は欠けで見分けられる。割れた筐体は型番で見分けられる。
大地のものは季節で数え、反・大地のものは版で数える。2.4 の収穫を見た者はいない。
化石は自らの暦を受け入れた物質である。塵芥の山は、暦と交渉して勝った物質である。
1950年以降、住民一人あたり 8.3 トンの樹脂が作られた。そのうち 0.6 が再生された。残りはどこかにある。無傷で、それが何であったかもう分からない考古学者を待って。
ある素材が、それを名づけた言語より長くもつなら、それは素材であることをやめ、風景になる。
IV 家内の儀礼——安全
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01
家の中から、決して分解しない物を一つ選べ。
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02
一晩、外の土の上に、地面に置け。
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03
朝にそれを見よ。変わっていない。
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04
何も起きなかったと確かめたとき何を感じたかを書き留めよ。
危険は零、残るものも零。物は中へ戻す。居心地の悪さが、この稽古の素材である。
V 危険性
朽ちないものを称えることは、屑を産む者にとって居心地のよい美学である。
区別せよ。反・大地のものは一つの状態を述べるのであって、それを喝采するのではない。診断を綱領と取り違えることが誤りであり、その誤りには商標があり、自らの目録がある。
VI 結語
地面が、物の戻る場所であることをやめたのなら、彫刻はもう植えられない。置き去りにされる。そして沈みも崩れもせずに土の上に置き去りにされたものが、この世紀が意図せずに産みえた、記念物に最も近いものである。