Temporada 1 · Rizomas en Combustión · JVV-T1-19
代理の身体——暴力の無人機化
I 夕食に帰る操作者
2015年、ネヴァダ州クリーチの無人機の操縦士が 17:00 に当番を終え、四十分運転して家族と夕食をとる。その朝、11,000 km 先で致死の決定を執行している。
四十分の道のりが、この文章の対象である。発砲の倫理ではない。 その道のりである。
「距離は心の傷を消さなかった。それを処理していた儀礼のほうを取り去った。」
II 代理の解剖
ハラウェイはサイボーグを境界の生きものとして述べた。有機体でも機械でもなく、それゆえ起源の神話から自由である、と。
代理の身体はその軍事の版であり、曖昧さを受け継いで、約束のほうは受け継がない。操作者は武器ではなく、武器から切り離されてもいない。その神経の系は、光ファイバーと衛星で 11,000 km 伸び、1.7 秒の遅延を伴う。
その遅れが、この装置の最も誠実な部分である。そこに、見る者と殺す者が同一人であるという虚構が、まるごと収まる。
III 移るものの表
| 遠ざかるもの | 残るもの |
|---|---|
| 操作者の身体 | その知覚 |
| 身体の危険 | 不眠 |
| 法の責任 | 見たものの記憶 |
| 戦場 | 労働の一日 |
注目すべきは、何が遠ざかるかではない。残るものに 行き場がないことである。部隊もなく、帰還もなく、儀式もない。終わる当番があるだけである。
IV 対立命題——種の伴侶
ハラウェイは後に、機械ではなく犬との関係で考えることを提案した。双方が変わる共進化である。
無人機は共進化しない。変わる身体の、使い捨ての器官である。変わるのは操作者のほうであり、赤外線で見ることを、熱の紋様を読むことを、3,000 m 先で鋤と銃を見分けることを学ぶ。
機械がより人間になるのではない。人間がより感知器になる。
V 帰還の儀礼——安全
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01
今日の仕事を終えたら、出る前に、六十秒動かずにいよ。
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02
行ったことを三つ、低い声で名指せ。
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03
出よ。
危険はなく、告白もない。装置が消してしまった閾を戻すだけである——連続した勤務が、まず管制室で、次いで他の全ての場所で、最初に消したものである。
VI 危険性
たやすい誤りがある。無人機をあらゆる遠隔の労働の隠喩として使うことである。そうではない。映像通話と処刑の違いは、程度の違いではない。
だが実の血縁があり、それが肝心である。すなわち いずれも、行為する場所と生きる場所のあいだの閾を溶かす。そしてその境を戻す儀礼を、いかなる文化もまだ考案していない。
VII 結語
身体が、七時の夕食をやめずに一万一千キロ伸びうるのなら、問いは、身体がどこにあるか、ではない。
そのどの部分がネヴァダで画面を見つめたまま残ったのか、そして誰がそれを迎えに行くのか、である。